小さい愛・NGO 愛・NGO 危機管理 戦争・平和 地震 介護・健康・環境 経済・犯罪・教育 民族・宗教 みなさんが考える小さな愛、それは、けっして小さくない。 それは、大きな愛を育て、歴史を作ってきました。 今、世界中で活躍しているNGO、UN、GO、報道などの努力が、やがて、この混乱の時代、国際的無政府状態を 終わらせる事になります。 歴史は語る。「小さな愛は、大きな愛の奇跡を生んできました。」 以下は、掲示板に載った関係ある内容です。(1〜7) 削除した方が良いと思われるものは、検討しますので遠慮なく連絡を願います。 過去の掲示板一覧 | 今の掲示板を見る | 世界平和の為の投票所 | 地震発生量の信号機 | メール メールは、保安上の理由で利用不可 |
コメント:
世界中の多くの人々を、はげます人が生きている間に、そのむくいを受けるとは限らない。
1864年、ニューヨークの安宿の一室で、1人の貧しい男が、この世を去った。
彼は、ありあわせの包み紙の裏に1つの曲を残していた。
「夢みる人」である。 この美しい曲は、やがて世界中で歌われる事になった。
スティーブ・フォスターは、37年の一生の間に約200曲、作曲している。
黒人の歌の特長を入れた民謡ふうのものである。
彼の曲は、今も世界中の人々に力を与えています。
彼は貧乏でしたが、今も世界中の人々に感動を与えています。
多くの人々が考える『人々をはげます曲』は、実は、苦しみの中から生まれ、
多くの人々の幸せを願って作られたものなのかもしれない。
コメント:
もし、あなたが1つの島に住んで回りの人々と仲良く生きていたとする。
あなたが、海で助けたみすぼらしい東洋の少年が、差別によりその島の人々に受けいられなかったら、どうするだろうか?
少年の為に、少年を受入れてくれる別の島に移るだろうか?
その国で、通う教会を変える事は、同じ事を意味していた。
万次郎を教会に通わす為に、ホイット・フィールド船長は、所属教会を変えた。
その事が無ければ、ジョン万次郎は、死罪が待っている日本に帰ってくる事も無かった。
日本の夜明けに、日米かけ橋として、英語教育者として、歴史に刻まれる事は無かっただろう。
船長の愛は、決して小さく無かった。
少年の運命を変え、二つの国の運命を変え、その延長線は21世紀につながっている。
コメント:
15才で海で遭難したジョン万次郎は、救助した船長によってアメリカで勉強する事になりました。
10年後、鎖国令による死刑を覚悟で、琉球【今の沖縄】経由で、日本に戻ってきました。
開国進歩派の薩摩藩によって、死刑にはなりませんでした。
時空を越えて、タイムトラベラーが、万次郎にインタビューしました。
トラベラー:「どうして、死刑になるかも知れない日本に戻ってきたのですか?」
万次郎 :「私は、神さまが私を守ってくれると信じていました。 だから、私は恐れませんでした。
しかし、私は、これからどうなるのでしょうか?」
トラベラー:「歴史は、あなたを必要とし、やがて、『日米のかけ橋』として、あなたは日本の夜明けで働く事になります。」
今も、毎年、多くのジョン万次郎が、『かけ橋』になる為、帰ってきます。
日本にいる海外留学生たちもそうです。 小さな愛、それが平和な世界を作ります。
コメント:
19世紀のイギリス、ビクトリア女王の時代
「国王は君臨すれど統治せず」の言葉のように、民主政治が進展した。
このころ、議会政治が確立され、政党責任内閣制が行われた。
政治・経済が発展し、イギリスの黄金時代と呼ばれている。
1855年ごろ、ビクトリア女王は、ナイチンゲールに励ましの手紙を書いている。
女王は、その励ましが世界を変えていく事に、つながっていくとは知りませんでした。
あなたが思う小さな愛、それは小さくない。
大木も最初は、小さい木である。
コメント:
1643年、イギリスの農家に彼は生まれました。
その時、すでに、父は亡くなっていました。 彼が3才の時、母は他の人と結婚して、家を出て行きました。
彼は、家に残ったおばあさんに、育てられました。
小学校に入っても友達はいなく、いじめられっ子でした。 おとなしく、少しぼんやりした子でした。
1人で本を読んだり、工作をするのが好きでした。 小学校の成績は、最初、良くありませんでした。
ある日、彼の大切な凧【たこ】を、いじめっ子がこわした為、彼は、カンカンに怒り、いじめっ子に、つかみかかりました。
彼は、けんかに勝ち、自信をつけ、勉強にも打ちこみ始めました。 小学校を卒業する時は、一番の成績になりました。
中学2年の時、家を出ていた母が、3人の子供をつれて、家に戻ってきました。 再婚相手が死んだ為でした。
彼は、家族を養う為に、学校をやめて、農家の仕事をしました。
しかし、彼は仕事をしながらも、勉強をしました。 やがて、家族は、みかねて、彼にふたたび中学校に行かせました。
彼は中学を優秀な成績で卒業しました。
彼の親戚たちは、彼にケンブリッジ大学へ行くお金を出しました。
いったい誰が予想できるだろうか? もし、まわりのささえる愛が無ければ、世界史は大きく変わっていた。
ささええる愛が無ければ、近代科学が生まれていなかったかも知れない。 近代科学の生みの親は、家族の愛かもしれない。
ニュートンは「万有引力」「光の分析」「微分積分法」の三大発見をしました。
他にも、さまざまな研究をしました。 彼は、「近代科学の父」として、世界史に記録されています。
家族の愛は、その後の人間の労力を大きく減らしていく事になる近代科学の発展に寄与する大きな愛になりました。
コメント:
「なぜ、そこまでして、彼らを助けるのですか?」と多くの人々は聞く。
聞かれた人は、逆に質問した。「困った人を助けるのに理由はいりますか?」
そう、助けない事には、理由はいりますが、助ける事には、理由はいりません。
それは、我々が、同じ人間で、それをしたいからです。
それは、大昔、人類誕生の時から、人間の条件としてDNAに組み込まれているからです。
コメント:
約2500年前、孔子は貧乏の家に生まれた為、学校には、ほとんど行けませんでした。
それでも、働きながら勉強しました。 頑張っている彼に天は味方をしました。
孔子は、魯【ろ】の大臣になりました。 そして、人々に言いました。
「暴力をすて、仁『愛の心』によって国を治めよう。」
しかし、その頃、人々も、他の国々も、道徳だけでは、生き残れないと考え、武力第一主義を信じていました。
孔子は、6年後、大臣を辞め、人々に説得の旅に出ました。
孔子の精神は、2500年後の今も生きていますが、剣を信じた国々は、今はありません。
孔子の精神は、日本人の意識の中にも育っています。
いつの時代も、天は人を助ける者を助ける。
コメント:
いつの時代にも共通な事がある。
人の為に頑張って働いている人に、神は味方する。 あなたは、それが本当である事を知るようになる。
コメント:
もし、あなたが人生で困った事があれば、次の言葉が助けになるでしょう
あわれみ深い者はさいわいです。 その人は、あわれみを受けるからです。
もし、あなたが偉くなりたかったら、人に奉仕する者になりなさい。
コメント:
まわりの人々は、思いました。 「彼には、それは無理だ」 彼は、落ちこぼれではありませんが、優秀でもありませんでした。
しかし、校長は、彼の心の愛、やさしさが、人々をしあわせに出来ると思いました。
そして、校長のすすめが、ルイの進路を変え、多くの失いかけた命を救う奇跡につながっていきました。
誰も予想できませんでした。 いつの時代も、予想のつかないところから、多くの命を救う人が登場するのかも知れない。
歴史は、そう語っている。
コメント:
19世紀中頃、「び生物は、栄養と空気のある所で、自然にわいてくる」と言うのが、最新科学の常識でした。
1822年に、ルイは、フランスで皮職人の子として、生まれました。
少年時代、絵が得意で、やさしい心を持つ子でした。 成績は、あまり良くなく、目立たない子でした。
勉強に熱心で、やさしい心を見て、ロマネ中学校長は、彼の未来を信じ、彼に、高等師範学校を受けるように、すすめました。
成績を見る限り、困難な事をすすめた校長は、その事が、やがて、歴史に残る話になるとは、知りませんでした。
ルイは、一生懸命に勉強しました。
頑張っているルイに、神は、味方をしたのかも知れません。
学校に入学でき、その後も、勉強を熱心にしました。
そして、当時の常識であった「び生物自然発生説」をくつがえす「空気中存在説」を証明しました。
そして、ルイは、び生物の研究を続け、たんそ病ワクチンや狂犬病ワクチンなどを作りました。
1888年には、世界各国からの寄付で、パスツール研究所を建てました。
それは、世界中の伝染病研究所の手本になりました。
多くの人を救う事になるルイですが、生活は質素で、仕事に熱心でした。
ルイ・パスツールは、「微生物学の父」「ワクチンの父」として、歴史に記録されています。
ロマネ校長の小さな愛は、ルイの数えきれない人々を救う事になる大きな愛を育てる事になりました。
その愛は、世界中に今も生き続け、多くの人によって、引き継がれています。
コメント:
19世紀末、人々は思いました。 「20世紀は科学の世紀で、科学が人々をバラ色に、しあわせにしてくれる。」
人々は、パリ万博などで、それが事実である事を知り、科学に信仰しました。
そして、心を豊かにする事、愛を育てる事を、忘れました。
そして、地獄の20世紀は、科学により増幅され、始まりました。
人の心に、愛が無ければ、21世紀は、人類最後の世紀になる。
しかし、人の心に、愛を育てれば、繁栄と平和が待っている。
未来を選択するのは、20世紀末頃に、これを見る皆さんです。
コメント:
今、自殺を考えている人へメッセージ
あなたは、知っているだろうか?
自殺しようとして、その直前で考えを変え、その後、成功した人々の話が、たくさんある。
歴史に残る仕事をした人の中にも、多くいる。
現在の有名人たちの中にも多くいる。
神は言われる。 「命を捨てる気があるなら、私の為に働きなさい。」
コメント:
1937年、74才のクーベルタンは、まもなく、この世を去ろうとしていた。
時は、第二次世界大戦直前で世界情勢は緊張が高まっていた。
タイムトラベラーは、時空を越えて、彼のベットの前に現れた。
クーベルタンは、トラベラーに言った。
「オリンピックの平和の夢は、私と一緒に、もう終りでしょうか?」
トラベラーは、クーベルタンに言った。
「いいえ、あなたが引き継いだ『オリンピアの見えない聖火』は、多くの人に引き継がれ、この苦難の時代の後にも引き継がれていきます。
あなたがした事が、偉大な事であった事が、やがて、歴史の大波が証明する事になります。
私は、人類を代表して、感謝を伝える為に、時空を越えて、ここにやって来ました。 ありがとう。」
コメント:
約1000年【紀元前776年〜紀元392年】の間、4年に1度、戦争を中止して「オリンピアの競技」は、行われた。
そして、過去の歴史として、埋もれた。
1863年、フランスの貴族の家に彼は生まれ、軍人として育てられました。
やがて、フランスは戦争に負け、人々は希望を失いました。
彼も失望し、16才で学校をやめ、イギリスやアメリカに旅行しました。
そこで、スポーツが心身を健やかにすると、気がつきました。
同じ頃、ドイツの学者が約1500年の時を越え、埋もれていたオリンピアを発掘しました。
彼は、オリンピアの競技を復活させ、世界平和に役立てようと夢を見ました。
はじめのうちは、どの国も、まじめに考えませんでした。
しかし、彼は、あきらめないで、夢を見つづけ、世界中を回り、説得に努めました。
頑張っている彼に神が味方したのかも知れません。
1894年、パリで、オリンピックとして復活させる為に、国際オリンピック委員会が結成されました。
クーベルタンは、約1500年の時を越え、埋もれていたオリンピックの精神を掘り起こし、
見えない聖火の火を引き継ぎました。
見えない聖火のたいまつには、今も、彼の言った言葉が刻まれています。
「オリンピックで、大切なのは、勝つ事ではなく、参加する事である。」
彼の夢見た世界平和の夢は、見えない聖火と共に、今も世界中を走り続けています。
コメント:
たいまつの火は、引き継がれる。
たいまつの火は、新しい時代に、引き継がれる。
たいまつの火は、新しい世代に、引き継がれる。
苦難のトンネルを走ってきた火は、今、明るい未来のランナーに、引き継がれる。
暗闇と戦火の中を走ってきた火は、今、平和の夜明けのランナーに、引き継がれる。
人類が誕生した時に、ともされた「たいまつの火」は、今、長い長い時をかけて、
まもなく聖火台のある競技場に入ろうとしている。
満場の観客は、今か今かと、それを待っている。
観客のあなたは、歴史の証人として、それを見る事になる。
コメント:
幕末の1840年、彼は、埼玉県の農家に生まれました。
母は、近所の病弱な人の着物や食事の世話をする慈悲深い人でした。
少年時代から、本を良く読み、家の手伝いも、良くしました。
青年時代、一時は倒幕も考えていましたが、考えを変え、24才の時、一橋家につかえました。
やがて、一橋【徳川】慶喜が将軍になり、彼も幕臣になりました。
慶喜の弟、徳川昭武に随行しフランスに行きました。
そこで、産業、経済、人間平等主義を学ぶ事になりました。
帰国後、明治政府の大蔵省で国家財政制度の確立の為に働きました。
4年後、退官した後、銀行、商工会議所などを設立し、500以上の会社設立、約600以上の公共事業設立に関わりました。
多くの教育、文化、社会事業につくしました。 国際親善にもつくし、「青い目の人形」は、その時の国際親善のあかしです。
1931年11月11日、彼はこの世を去りました。
その後、日本は、彼の考えとは、逆の方向の戦争へと進んでいき、その結果、日本は焼け野原とガレキの山になりました。
渋沢栄一のこころにあったのは、孔子の教え、「論語」の精神の「まごころと思いやり」でした。
ひとりの母の愛が、ひとつの国を、世界史に残る大きな発展をもたらす事になりました。
「道徳と経済の一致」の考えが正しかった事が、70年後に理解される事になりました。
世界史に残る日本の夜明けの経済・産業の発展の原動力は愛、道徳でした。 それは、実は普遍的な法則でした。
コメント:
アフリカの地に、小さな井戸が掘られた。
青年たちにとっては、ひとつの夢にすぎませんでした。
しかし、現地の人たちにとっては、それは命の水でした。
小さな愛、それは、けっして小さくない。
それは、大きく育っていき、やがて平和な世界をつくりだす。
コメント:
新しい家が建った。 そのまん中に家全体を支える大黒柱がある。
それが、大切なものであると、建てた人は知っていた。
時がたち、世代が変わった。
若い世代は、家のまん中にある「うっとうしい」大黒柱を見て、邪魔だから切ってしまった。
しばらくして、地震があり家は、つぶれた。
不要なように見えても、全体を支えている重要なものがある。
人のこころに、愛と言う名の大黒柱。
大黒柱をはずす時は、その代わりに家全体を支える良いものが必要である。
コメント:
あなたは、「悪魔の国」と「神の国」のどちらに住みたいだろうか?
かって、第二次世界大戦では、日本はまわりの国々から「悪魔の国」と思われていました。
今では、困っている国々を助ける「神の国」と思われています。
あなたは、どちらがいいですか?
日本が、「神の国」でなく「悪魔の国」をめざすことがない事を希望します。
こころに、愛を埋めなければ、そこには、やがて悪魔が住み着く。 こころの空白は危険である。
コメント:
彼のまわりの人々は、何もかも捨てて、アフリカの密林に行く彼をふびんに思いました。
彼が、その地で、ひっそり死んでも、誰も知らない事になると思いました。
しかし、その地で90才の彼が死んだ時、そのニュースは、世界中をかけめぐり、世界は悲しみました。
コメント:
彼は、21才の時、30才になったら、『人々のために働こう』と心に決めました。
1875年、彼はドイツで牧師の子として、生まれました。
裕福な彼は、学校では秀才でした。
彼は、大学で神学、哲学を勉強しました。 芸術も勉強しました。
彼は、29才の時には、地位も名誉もありました。
その頃、アフリカの人々が病気で苦しむ報告を書いた本と出会いました。
彼は、こころを動かされ、すべてを捨てて、アフリカに行く事を、決めました。
彼は、医者になる為に、勉強を始めました。
38才で、医者になった彼は、アフリカに渡り、病院を開きました。
そこは、伝染病のはびこる危険なところでした。
やがて、彼の奉仕は世界中の知るところになり、77才の時、ノーベル賞を受けました。
なに不自由なく幸福に育ったシュバイツァーは、時がきて、人々の為に働き始め、
やがて『密林の聖者』として、世界史に残る事になりました。
地球の片すみの密林の中で起きた愛の光は、世界舞台に引き出される事になりました。
あなたが思う小さな愛、それは決して小さくない。 やがて、世界中が知る事になる。
コメント:
彼女は頑張りに頑張った。 人々はそこに希望の光を見た。 しかし、
彼女は無理をした為、過労で、たおれた。
誰もが、もう、その光は消えると思った。
しかし、不思議な事が起き始めた。
今まで、彼女に協力的でなかった人々も協力し始めた。
やがて、彼女も、また動き始めた。
それは、誰も予想もしなかった歴史の大波になっていった。
150年前に、地球の片すみで起きた出来事である。 ナイチンゲールの投げかけた愛の光は、今も世界をかけめぐる。
コメント:
日本の子供たちは、何でも手に入る。 思い通りにいかないとキレたり、コワレたりする。
がまんする事を学ぶ必要がある。
戦場の難民の子供たちは、「がまん、がまん」の毎日である。
何がほしいかと聞くと、「着る物と食べる物がほしい」と言う。
生まれた場所によって、立場、考えが違う。
将来、年とって弱者になったあなたを、助ける痛みの分かる子供たちはどちらだと思いますか?
「天は人を助ける者を助ける話」は、過去の歴史の中に山ほどある。
コメント:
ペリー老人は、まもなく、この世を去ろうとしていた。
タイムトラベラーは、時空を越えて、老人のベットの前にやってきた。
老人はトラベラーに言った。
「あの立ち遅れた島国の行く末は、どうなるのでしょうか? やっぱり、どこかの植民地になってしまうのでしょか?」
トラベラーは言った。
「いいえ、あなたが開国した事により、あの島国は、大きく変わっていく事に、なります。
あなたにとっては、命をかけた、ひとつの出来事にすぎませんでした。
しかし、あなたのした事が、大きな歴史の分岐点になった事が、150年後に、知られる事になります。
あなたが、小さいと思った国際親善が、実は、それが世界史の大きな流れを変える分岐点でした。」
コメント:
1858年、この世を、もうすぐ去ろうとしていた老人は、その時、太平洋のかなたにある遅れた島の事を気にかけていました。
彼は、1794年、アメリカに生まれました。
彼は、近代化された海軍の提督になりました。
彼は、その文明の遅れた島の事を、750冊の本で研究しました。
その島では、人は剣を持ち歩いていて危険で、頭には飾りをつけたりして、奇妙に見えました。
ちょっとした失敗で、剣で腹や首を切ったりする残酷な島民の住む島でした。
彼は、その未開の島へ上陸して、生きて帰れないかも知れないと思いました。
しかし、彼は国際親善の為、4隻の船で250年間、鎖国している日本に向かいました。
ペりーは、日本に開国をせまりました。
翌年、1854年、300人の水兵を連れて横浜村に上陸し、日米和親条約を結びました。
ペリーは、帰国後、「日本遠征記」を書いて、日本を紹介しました。
条約から、わずか4年後、64才のペリーは、この世を去りました。
彼は、日本の開国の為に、この世に生まれ、そして去って行ったのかも知れません。
彼の結んだ条約がきっかけで、やがて、日本は大きく変わり、歴史に残る驚異的な発展につながりました。
ペリーの命がけの愛は、21世紀初頭の出来事に、つながっていく事になりました。
コメント:
世界中の小さな留学生たちへ
みなさんは、言葉のカベや文化のカベをのり越えなければなりません。
それが、容易でない事を、知っています。
私たちは、みなさんを地球上空から見守っています。
私たちは、みなさんの味方です。
みなさんの頑張りが、人類の未来を作る事を知っています。
負けるな。 小さな留学生たち。
コメント:
オオカミに育てられた少女は、オオカミのようにほえ、オオカミのように食べた。 実際にあった話である。
人間は、育てる人によって、オオカミにも、人にもなる。
もし、「人の皮をかぶったオオカミ」が育てたらどうなるのだろうか?
「人に死ねと言うのが当たりまえのいじめ」環境や、競争でなく人をけ落とす環境で育った人が、先生になったらどうなるのだろうか?
人の心に、オオカミではなく、人の心を入れる必要がある。 「人」は、字の形のように、ささえあう存在である。 つまり、愛である。
生きていく上で一番大切な事を学ばなければ、その人の行く先には、破滅しか待っていない。
歴史はその連続だった。 毎日報道されるニュースは、それを証明する。
コメント:
彼は、家族がいなかった。 彼は孤独であった。 彼は交通事故に会い死んだ。 遺産も遺書もなかった。
彼の事は、そのまま、さみしく、この世から忘れ去られる運命にあった。 しかし、
彼は、臓器提供意思をカードに書いていた。 そして、たくさんの人が、彼の遺言を実行する為に、動き出した。
すべての臓器の提供意思を書いていた為、多くの人に臓器が提供される事になった。 提供により、無くしかけていた命を拾う人も出てきた。
彼の命を与える最後の愛は、多くの人の知る事になり、多くの人に見送られる事になった。 小さな愛、それは、けっして小さくない。
あなたが、カードにつける丸、その小さな丸は、けっして小さくない。 それは、世界を変える助け合いの大きな大きな輪につながっている。
コメント:
競走馬と普通の馬が競走したら、競走馬が勝つのが当たりまえと誰もが思う。
しかし、その競技では、普通の馬が勝ってしまった。
愛情なしで育てられた競走馬より、いっぱいの愛情で育てられた普通の馬が勝ってしまった。
愛は常識をくつがえす。 愛は不可能を可能にする。
コメント:
あるヨガ道場の先生の所に、治療の為に失明した人がやってきた。
先生は、事前に彼から手紙をもらっていた。 手紙には、失明してからのツライ日々の事、医者も見はなした事が書いてあった。
先生は、ヨガでも治せない事を知っていた。 しかし、話を聞いてやろうと思っていた。
先生は、彼に会った時、あわれに思い、ただ彼をだきしめて一緒に泣いた。
泣き終わった後、不思議な事が起きた。 彼の失明が治ってしまっていた。
ふたりは、大喜びであった。
先生なら必ず治してくれると言う想い、先生の哀れみや慈悲の想いが、奇跡の扉を開けたのかもしれない。
小さな愛、それは、けっして小さくない。 愛は多くの困難を越えさせる力がある。 不可能を可能にする力がある。
コメント:
昔、人類は、月の美しさを見て感動しました。 親子のきずなも、一緒に月を見る事で深まりました。
その月にも、人類は足あとを残しました。 そして、宇宙開拓時代に入りました。
今では、お金があまり無い普通の人でも、宇宙から地球を観察できるように、なってしまいました。
もし、10年前に、「10年後に、小学生が宇宙から地球を観察している」と言ったら、誰も信じてくれませんでした。
そうです。 人生は、不思議の連続かも知れない。 それは、すべての人に言える事である。
「どんなに技術が進歩しても、心に愛を埋めないと人生がむなしくなる。」は、宇宙開拓時代においても真理です。
コメント:
昔、日本は鎖国をしていて、太平洋の島々の事は、遠い遠い異国の事でした。
約150年後の今、宇宙時代に入り宇宙から地球を見る事ができ、今まで見えなかったものが、見えるようになりました。
例えば、ハワイで大地震が起きた場合、津波が太平洋の島々に押しよせる事になります。
日本も含め太平洋の島々は、その時、はじめて運命共同体である事がわかり、助け合う必要がある事に、気がつきます。
太平洋・島サミットに関して、NGO、行政、報道などの関係者のみなさんに島民を代表して、感謝します。
コメント:
少年の見た夢。 最初、誰もが、それは不可能と思いました。
いつの時代も、そうです。
しかし、少年の夢は、やがて少年を、夢の実現へと導いていった。
やがて、その夢に多くの人が、参加し始めた。 それは、大きな歴史の大波になっていった。
そして、人類を月にまで、送ることになった。
コメント:
市民が集まって代表を決め、政府ができた。 その為、GO【政府】は、市民の総意によって出来ている。
NGOは、ひとりでも出きる。 《しかし、詐欺師や暴力団もNGOのふりをする。 認識しておく必要がある。》
もともと、GOもNGOも社会に貢献する為に、組織される。
自由度や権限の違いがあるが、目的は同じである。 互いに協力関係であるのが望ましい。
GOにしか得られない情報がある。 また、NGOにしか得られない情報もある。
もし、敵対状態であると、一番困るのは両方が助けようとする社会的弱者である。
コメント:
彼は、日本に文化を伝える為に、海を渡って来ました。 688年、唐【今の中国】に彼は生まれました。
彼は、14才でお坊さんになり、やがて唐で最も有名な高僧になりました。
彼は、そのまま唐にいれば、安泰【あんたい】な一生を送れました。
しかし、日本からの留学僧の熱心な願いで、彼は日本に行く事を決心しました。
途中、あらしや海賊に襲われ、5度も失敗しました。 まわりの人たちは、日本に行くのは無理だと思いました。
しかし、頑張っている彼に天は、味方しました。 決心から11年後、多くの困難をのり越え、彼は海をわたって日本にやって来ました。
苦難のため、彼は失明していました。
かれは、日本に仏教の教えや進んだ中国の医学を伝えました。
彼は、日本の文化、日本の精神の発展に大きな役割を、はたしました。
鑑真【がんじん】の失明をしてまで、命をかけて荒海を渡った彼の愛は、歴史にきざまれています。
彼の愛が、けっして小さくなかった事が、約1300年の時を越えて、人類が気づく事になりました。
コメント:
世界中のNGOのみなさんへ
NGOが暴力を使えば、NGOは、全人類を敵にまわすことになる。 暴力は犯罪である。
全人類は、警察、軍隊、国連軍を使ってでも鎮圧する事になる。
暴力を使わず、正しければ、全人類が味方につく事になる。
NGOの本当の敵は、NGO内部の心にある。 剣を持てば、剣で亡ぶ。
コメント:
信じる人には見え、信じない人には見えない。
7才の少女は、夢を信じたから、太平洋のはるかかなたに続く道が見えた。
男たちは、荒海の下に道ができる夢を信じた。 信じた男たちだけにしか見えなかった道。
今では、誰にでも見えるようになった。 青函トンネルとして。
米粒に字が書けると信じる者には、書ける。 しかし、信じない者には、書けない。
石の中に仏が見えると信じる人は、仏が彫れる。 しかし、信じない人は、うまく彫れない。
人は、夢を信じた時、その夢への道が見え始める。
コメント:
7才の少女は、国際親善の夢を見た。
彼女は、そこに残っていれば、ノーベル賞を受賞したかもしれない。
彼女は、そこに残っていれば、しあわせな結婚生活が得られたかもしれない。
しかし、彼女は、それらを捨てた。
彼女は大海を渡って、遠い遠い国に、やってきた。
彼女は日本語を忘れていた。
彼女は、国際親善と結婚したのかも知れない。
彼女は生涯をかけて夢を育てた。
彼女の夢は、今も生きつづけ、新しい時代へと引き継がれる。
7才の少女の描いた夢は、平和な世界へと変えようとしている。
コメント:
1864年、農学者の子として彼女は、東京で生まれました。
1871年、アメリカに渡った岩倉欧米使節団の中に5人の女子留学生たちがいました。
7才の彼女も、姉のかわりに留学生に入っていました。
アメリカ森公使は、「こんな小さい子を、よこしてどうすればいいんだ。」と困ってしまいました。
その時、5人の中で、その7才が、日本の将来を背負っていく事になるとは、誰も予想できませんでした。
彼女は、ランメン夫妻に、実の子のように11年間、育てられました。
生物学者になった彼女は、後にノーベル賞を受賞するトーマス・モーガンとも、共同研究をした事もありました。
しかし、彼女の夢は、日本での英語教育、個性尊重教育を特長とする女子英学塾【現在の津田塾大学】をつくる事でした。
津田梅子は、日本の夜明けに、女子教育に光を与えた教育者として、歴史に記録されています。
7才の子を支えた応援団たちの愛は、日米国際親善と女子教育を進める大きな原動力につながっていきました。
大海を渡った7才の子が描いた国際親善の夢は、やがて多くの人に引き継がれていき、21世紀初頭の出来事へとつながっていきました。
コメント:
国交回復して、近くの国が、大変な貧困で困っている事が、分かると何が起きるか?
多くの人やお金が、投資され助けようとするのが、人の性格です。
コメント:
ケネディ大統領は、人類を月に送る夢を見ました。
しかし、その夢の実現を見る前に、この世を去りました。
世界中は、その時、悲しみました。 しかし、科学者たちは、彼の夢を実現する為に、頑張りました。
1969年、ついに人類は、月に第一歩を残しました。 ケネディの夢は、みんなの夢でもありました。
頑張っている人には、天は、味方する。 今も、昔も、これからも。
コメント:
1894年、アメリカの酒場の子として、彼は生まれました。
彼は、学校の成績は最悪で、非行少年でした。 その為、非行少年たちの行く学校に、転校しました。
牧師でもあるマシアス先生は、彼に野球の才能があると感じ、野球にうちこむ事をすすめ、手伝いました。
先生は、その時、すすめた事が、やがて歴史に残る事になるとは、予想できませんでした。
19才の時、彼は、プロ野球に、スカウトされました。
そして、ホームラン王になりました。
彼は、勉強が出来なくても、みんなを楽しませる事ができるという夢を、子供たちに与えました。
引退後、財団を作り、遺産を社会事業に寄付しました。
ベーブ・ルースは、世界のホームラン王として、歴史に記録されています。
マシアス先生の小さな愛は、ベーブの一生を変え、勉強の出来ない子供たちに、今も夢を与えています。
コメント:
1986年11月15日17時25分、三原山は噴火し始めた。
11月21日、噴火見学が始まっていた。16時15分、予想もしなかったところからの割れ目噴火が発生した。
見学者たちは、山を急いで降り始めた。 秒を争う緊急避難が、始まった。
最後になった茶屋の主人は、逃げ遅れた2人の学生に気がついた。
主人は、2人の為に待った。 そして、3人の乗った車は、急いで山を降り始めた。
目の前の道に、割れ目が発生した。
そこを飛び越え、後ろを見ると、その割れ目から、溶岩がいきよいよく噴出し始めた。
3人は、わずかの差で、助かった事に、気がついた。
天は、人を助ける人を、助ける。 昔も、今も、これからも。
コメント:
「神は死んだ」と、ある人は、言いました。 しかし、その時、神ではなく、人が死んだのかも知れない。
心の中を、空白にした為、そこに、お金信仰、独裁者信仰、け落とし【競争と違う】信仰などが、そこに入った。
お金が悪いわけではない。 問題なのは、何を一番優先にするかである。
愛が一番優先でなければ、恐竜のように、人類は、破滅する。 あれば夜明けはくる。 愛のあるところに神はいる。
コメント:
ある同窓会で、先生は、自分の生徒たちが、世界中で活躍しているのを知って驚いた。
先生:「私は、教え方が、下手で、決して良い教師ではなかったが、素晴らしい生徒を持てて、幸せです。」
生徒:「先生は、本当に、校内で一番、教え方が下手な先生でした。 しかし、一番、大切な事を教えてくれました。 愛です。
先生は、いろんな方法で、それを教えてくれました。 それが、私たち生徒の今の原動力になっています。」
そう、歴史を動かしてきたのは、国算理社の教科でなく、愛でした。
愛が、難しい本を読ませ、言葉の壁をのり越えさせ、多くの困難をのり越えさせ、歴史を動かしてきました。
コメント:
あなたが、必要です。 地球防衛軍は、あなたを必要としています。
自殺や、死ぬ気があるなら、死ぬ前に、地球防衛軍【非軍事組織】に参加を、お願いします。
日本および、世界には、あなたのボランティア活動が、必要です。
海のかなたで、あなたの助けを待っています。 あなたが来るのを、待っています。
コメント:
彼は、602年、今の中国で学者の子として、生まれました。 彼は、読書が大好きでした。
9才の時、遠い国から来た遣隋使の小野妹子の行列を見て、自分も、いつか、遠い国へ行きたいと思いました。
10才で、父を無くし、兄の所で、お経を勉強をした為、若くして天才と思われました。
27才の時、インドに行って、お経の勉強をしようとしました。
当時の唐の皇帝は、行かせないようにしましたが、彼は、かくれて行きました。
彼は、途中の砂漠で、5日間倒れて、死にかけました。
多くの困難、死の危険がありましたが、頑張っている彼に、天は味方しました。
インド各地で、お経の勉強をして、やがて、中国へ帰って、1300以上のお経を、漢字による翻訳しました。
仏教の為に、一生をつくした玄奘【げんじょう】は、「西遊記」の三蔵法師として、今も、世界中に知られています。
孫悟空は、実際には、いませんでしたが、予想もしないところから、いろんな助け手が現れて、彼を助けました。
天が、彼を多くの死の危険や困難から守った事は、記録として残っています。
今も、人の為に頑張っている人には、予想もしないところから、孫悟空を、天は助け手として、送っています。
コメント:
彼は、砂漠の中で、疲労の為、倒れた。 5日間、倒れていた。 彼のいのちは、もう風前のともし火であった。
時空を越えて、そこへやって来たタイムトラベラーは、彼を、起こして、水を与えた。
彼は、言った。「なぜ、私を助ける?」
トラベラーは、言った。「あなたのしようとしている事が、やがて、多くの人々を救う事になるからです。」
彼は、「ありがとう」と言って、歩き始めた。
この話が、本当かどうか分かりません。 しかし、
「天は、人を助ける人を助ける。 昔も、今も、これからも。」は、本当です。
コメント:
1809年2月12日に、彼は、ケンタッキーの貧しい開拓者の家に生まれました。
彼は、ほとんど学校へ行っていませんが、本が好きでした。
18才頃、彼は、ある事で、治安判事に訴えられました。
ペート判事は、彼が、法律について知らないが、正直な青年だと気がつきました。
無実と分かりますが、判事は、だまされやすい正直な彼の将来の事を思い、法律の勉強をすすめました。
そして、「一度、私の裁判を見に来なさい。」と言いました。
ペート判事は、その時の思いやりが、やがて、その国の将来を大きく変えていき、世界史に残る事になるとは、予想できませんでした。
彼は、判事の裁判を見に行き、感動しました。 彼は、「法律家になり、多くの人を救おう」と決心しました。
その頃、彼は、どれい市場で、黒人が売買されている事に、出会いました。
その時、どれい売買は、法律で、守られていました。
彼は、いつか、どれいを解放しようと、決心しました。
正義感の強い正直な彼に、神さまは、味方しました。
30年後、合衆国は、彼を必要とし、彼は、大統領になりました。
その3年後、どれい解放宣言をし、黒人を自由にしました。
1865年4月14日、リンカーンは、暗殺される事を、夢などにより、予感していました。
しかし、彼は、それを受け入れ、この世を去って行きました。
彼は、アメリカの自由と平等を守りました。 その精神は、やがて、全人類に受け継がれる事になりました。
不滅の彼は、今も、リンカーン記念館で、座って、国会議事堂を、見守っています。
彼は、そこから、今も全人類に、政治のあり方を訴えています。「人民の人民による人民のための政治」
ペート判事の小さな愛は、リンカーンの合衆国を変える愛につながり、やがて、21世紀初頭の出来事につながっていきました。
コメント:
憎しみのうずまくコソボ
いやしの音楽が流れ、荒れはてた人々の心に、しみわたる。
もっと、もっと、憎しみを溶かす音楽を下さい。
邪悪な波が、地下から、人々に襲いかかる。
地下からくる人々の心をかき乱す邪悪な波を、
打ち砕く為に、天からの音楽の波を下さい。
武器を持ち、復しゅうをしようとしている人々に、
憎しみのおろかさを、分からせる音楽を下さい。
100万の兵より、1人の音楽家を、送ってください。
コメント:
タイムトラベラーは、歴史に名前が残る事になる彼に、「あなたは、今日、暗殺されます。逃げて下さい。」と言った。
しかし、彼は、言った。「もし、私が暗殺されれば、私は、英雄として、歴史に残る。 私を支持する人々にとって、不滅の存在になれる。」
「何よりも、私は、神のもとに行く事が、できる。 こんなに、いい事が、あるだろうか?」
そして、暗殺者は、彼のいのちを、銃弾によって、奪った。
しかし、暗殺者は、引いた引き金が、逆の歴史の大波を引き起こすとは、知りませんでした。
歴史は、暗殺者の考えとは逆の方向へ、大きく動いていった。
それは、ちょうど、雪山に、銃で撃って、なだれが、撃った人間を、飲み込むようなものだった。
神は言われる。「この世で、一番強いのは、銃ではない。 死を恐れない勇気、愛である。」
コメント:
3世紀頃、女王の卑弥呼は、邪馬台国を治めました。
神のお告げを聞く巫女【みこ】でした。 卑弥呼の弟しか、卑弥呼に会うことが、出来ませんでした。
卑弥呼が死んだ後、13才の壱与【いよ】が後継者でした。
しかし、人々は、「少女に何ができる?」と言って、あざ笑いました。
そして、昔のように、男の王が立ちました。
しかし、国の中が、敵味方に分かれて、戦いがはじまり、乱れました。
そこで、人々は、13才の壱与を女王にしました。
そして、国内に平和が来ました。
もしかすると、この平和は、武力でなく、アイドルの魅力によったものかも、知れません。
策略、陰謀、諜報などの方法を知らない壱与の強力な応援団は、本当に神さまだったのかも、知れません。
----------------------------------------------------------------------------------------------
歴史は語る
強力な国家が、いくら、強力な武器や、優秀な軍隊を持っていても、火山大噴火、大地震、大水害、大飢饉、死の伝染病大流行を、
防げませんでした。
昔、一匹の蚊【か】が、大皇帝の命を取りました。
ポンペイでは、大ローマ帝国の武力と栄華をきわめた富豪たちも、一回の大噴火で、土に戻りました。
最新科学技術を使って、絶対沈まない船として作られたタイタニック号も、最初の航海で、あっけなく沈みました。
その逆に、人を助ける為に、必死に叫んで、一緒に逃げた人が、津波から、わずかの差で、助かっています。
「人を殺すな」と、世の始めから言われている神さまを、味方につける事が、危機回避の最良の方法です。
天は、人を助ける者を、助ける。 愛のあるところに、神さまはいます。
コメント:
その時、人々は、あざ笑った。 「少女に何ができる?」
しかし、人々は、少女の背後に、強い応援団がいる事を知らなかった。
歴史は、すべてが、終わった後、一部分のみしか記録に残せない。
大昔から、そうでした。
コメント:
もし、あなたが、人の支持を集めて、行動しようとすると、失望する事が多い。
人ではなく、神さまの支持を得ようとして、行動すれば、人の支持が、かってに付いてくる。
愛のあるところに、神さまはいる。
コメント:
紀元79年8月24日、イタリアのベスビオ火山のふもとで、ナポリ湾にのぞむボンベイは、素晴らしいところでした。
ローマ富豪たちの別荘地、保養地でした。
数日前から、鳴動は続いていました。 しかし、人々は大丈夫と思い、ほとんど、誰も避難しませんでした。
昼過ぎ、人々の予想をはるかに越えた火山大爆発が発生しました。 ポンペイは、あっという間に、火山噴出物で埋まりました。
栄華をきわめたローマ帝国の富豪たちも、土になりました。
富豪になって、何もかも、得られると思って、おごり高ぶっていたら、次の瞬間、自分の命も含め、すべて失っていました。
天は、人を助ける者を、助ける。 愛のあるところに、神さまは、一緒にいる。
コメント:
1822年、ドイツの貧しい牧師の家に、彼は生まれました。
そのころ、トロヤの木馬の話は、作り話だと言う事が、世の中の常識で、学者たちの定説でした。
しかし、彼は、子供の頃、それが本当にあったと信じ、いつか見つけようと決心しました。
彼は、貧乏だった為、苦労して、働きながら、勉強しました。
頑張っている彼に、神さまは、味方しました。
彼は、商人として成功し、大金持ちになりました。
そして、1870年、子供の時の夢をかなえる為、トロヤの発掘を始め、都城の遺跡を発見しました。
こうして、シュリーマンは、古代ギリシア文明を明らかにしました。
夢を見た時から、40年の月日が、流れていました。
不可能に見えても、頑張っている人には、昔も、今も、神さまは、時空を越えて、味方をする。 これを読んでいるあなたにもです。
コメント:
10年前、60億の地球市民が投票することは、それを集計して、発表する事に、大変な時間と金がかかり、不可能に近い事でした。
しかし、今、インターネットが、その不可能を、短時間、信じられない低コストで、それを、可能にしようとしています。
アメリカの一部で、正式な投票を、インターネットで行う事が、始まりました。
昔、夢見た事が、次々に、実現し始めています。
コメント:
落ちこぼれの人たち、孤立している人たちへメッセージ
ガリレオが、「それでも地球はまわる」と言った時、彼は、さみしかった。
まわりのほとんどの人が、彼の考えを、あざ笑った。
しかし、時がたって、大転換が起きた。
地動説が正しいと、後世の人々が、考えた時、天動説を固守する老人たちは、相手にされなくなった。
いつの世も、大勢の人が、信じている事が、いつも正しいわけではない。
世の中に流されずに、正しいと思う道を、進むべきである。
あなたが、正しければ、今は1人でも、時とともに、あなたの考えが、世の主流になる。
コメント:
旅立つ若者たちへ送る言葉
みなさんの前途を祝って、次の言葉を送ります。
「人事をつくして天命を待つ」----人間として、可能な限りをつくし、あとは、神さまにおまかせする事。
不可能に思えても、頑張っているあなたには、この世で、一番強い方が、味方する。
たとえ、脇役でも、神さまは、ちゃんと見守っている。
あなたは、それを、いろんな偶然や奇跡で知る事になる。
コメント:
607年、彼は、「生きて帰れないかも知れない」と覚悟して、1、2ヶ月かかる隋【今の中国】への航海に出ました。
過酷な旅でした。 彼は、進んだ隋の政治や文化を日本に持ち帰りました。
遣隋使の小野妹子たちの命をかけた努力によって、日本に豊かな文化を、その後、育てる事になりました。
この時の隋からの文化が、その後の日本の発展の基礎を築きました。
その時、隋が、進んだ文化を、分けてくれなかったら、今の日本は、たぶん、無かった。 今も貧困の国の中にいたかも知れない。
その時の小さな愛が、日本の将来を、大きく変えた。
1400年の時を越えて、あらためて、中国のみなさんに、ありがとう。
コメント:
彼は、この世で最も身分の低い奴隷でした。 彼には、何もなかった。 神に祈る事以外、何も無かった。
いったい、誰が、目の前に近づきつつある破滅を予想できただろうか?
その繁栄をきわめたエジプトは、風前のともし火の運命にあった。
王は、奴隷の夢解釈を信じ、その奴隷を食料大臣にして、対策を取らせた。
7年の大豊作の後、7年の大飢饉がきた。
備蓄してあった食糧を、少しずつ出して、国民は、飢える事が、なかった。
まわりの国々も、慈悲によって飢える事がなかった。
こうして、ヨセフは、エジプトだけでなく、多くの人々の命を救う事になった。
歴史は語る。
助け手は、いつの時代も、予想できないところから、予想できない形で、やって来るのかも知れない。
コメント:
どんなに望まなくても、冬は終り、春が来る。
人生は、苦しみだけではない。
より多く苦しんだ人には、より素晴らしい春が、やって来る。
死に急ぐ事はない。
少し、がまんすれば、冬が終り、春が来る。
それは、人ではなく、神さまのなさる奇跡です。
もし、あなたが、苦しみの中にいるなら、あなたは、その奇跡を見ることに、なります。
コメント:
紀元前356年、彼は、マケドニアに王子として、生まれました。
彼は、哲学者アリストテレスから、教育を受けました。
そして、「すべての人間は、神の子だ。 人種差別は、いけない。 良い人と悪い人で区別すべきである。
世界を、ひとつの家族のように、まとめよう。」と言いました。
彼は、戦えば、必ず勝ちました。 こうして、ヨーロッパ、アジア、エジプトを遠征しました。
彼も含めて、多くの兵士たちは、国際結婚(ギリシア人とペルシア人)をしました。
「我は神の子! 世界帝国の王になる」と言ったアレクサンダー大王。
もはや、地上に敵はいないと、人々は、信じました。
しかし、小さな一匹の蚊【か】に刺されて、マラリアで死にました。
33才の無敗の大帝国の帝王でも、か弱い一匹の蚊には、勝てませんでした。
人類の本当の敵は、昔から、人ではなく、ウィルスなどの極小のものかも知れない。
コメント:
彼女は、灯火【ともしび】に火をつけた。 そして、それで他の人の灯火に火をつけた。 火を移す連鎖は始まった。
当時の人々は、その火は、すぐに消えると思っていた。 そして、「歴史は、我々が作る」と考えていた。
しかし、その灯火は、次々に、他の人へ移されていった。
だが、20世紀、多くの灯火の火は、吹消された。
真っ暗の中で、多くの人々が死んだ。
時がたち、21世紀まで、その灯火は、多くの人々によって引き継がれた。
世界中が、それらの灯火で明るくなった。
吹消す力も、無力に近いほどになった時、新しい時代が来た。
ひとつづつは、すぐに消える、か弱い灯火であっても、多くなると、まぶしいほど明るくなる。
昔、人々が、歴史の中で、すぐに消えてしまうと思っていた愛の灯火が、実は、歴史の中心にある流れであった。
コメント:
彼は、1775年、茨城県の農家に生まれました。12才の時、彼は、「日本一の有名人」になれるように、筑波山で神さまに祈りました。
まわりの人々は、でかい口をたたくやつだと、笑っていました。 時は、士農工商の身分制度の時代で、不可能に近い夢でした。
彼は、お寺で、おしょうさんのもと、勉強しました。
がんばっている彼に、神さまは、味方したのかも知れません。 1799年に、彼は、幕府の役人になりました。
彼は、アイヌの人々の助けをかりて、カラフトを測量しました。
彼のカラフトや大陸探検の報告書は、シーボルトが知る事になりました。
その後、シーボルトが帰国した時に、世界に彼の事を紹介しました。
シーボルトは、彼の世界地図に「間宮海峡」を名づけて、載せました。
その為、間宮林蔵の名前は世界的に有名に、なってしまいました。 その時、彼の夢は、実現しました。
頑張っている人には、今も昔も、神さまは味方をする。 これを読んでいるあなたにもです。
コメント:
1745年、千葉県に生まれた彼は、本格的に学問を始めたのは、50才の時でした。
ある意味では、無名の彼の残りの人生は、社会奉仕にささげた人生だったかも知れない。
1800年、幕府の許可を得て、北海道の測量を、自費で開始しました。
それは、大変、根気のいる作業でした。
当初、誰もが、日本全土の正確な地図を、作るのは、不可能と思いました。
しかし、頑張っている彼に神さまは、味方をしました。
4年後、幕府は、彼に、役人の地位を与えました。
月日が流れ、17年かけて、日本全土の測量が終わりました。
しかし、地図の完成を見ないで、彼は、この世を去りました。
3年後、弟子たちによって、日本全土の地図は完成しました。
伊能忠敬の名前は、江戸時代の地理学者として、日本史に、記録されています。
その地図は、イギリスの測量船長を、驚かすほど、精密でした。
地図は、治水や防災を含め、いろいろ役立つ事になりました。
彼の小さな愛は、根気のいる不可能に見える事を、可能にしました。
今では、宇宙からの目で、簡単に出来る地図も、当時は、一生を捧げるような大変な事でした。
コメント:
『きれい』な顔は、大腸に言った。「あなたは、臭いからいらない。」
大腸は去って行った。 そうしたら、病気になり、『きれい』だった顔は、シミだらけになり、苦痛に満ちた顔になった。
そして、その時、顔は、気がついた。
大腸がいてくれたから、顔は『きれい』な顔でいられたと。
この世の中の『落ちこぼれ』と言われる人も含め、社会的弱者(肉体や精神)を、大切にしないと、そのむくいは、戻っていく。
コメント:
彼は、希望の光であった。 そして、光は消えた。
人々は、暗闇の中にいた。 人々は、もう、終りだと思った。
人々は、暗闇の中を、さまよい歩いた。
時がたった。 暗闇の中に薄明かりが、見え始めた。
こちらにひとつ、あちらにひとつ、また、こちらにも・・・
それらの明かりは、時とともに、光輝くようになっていった。
やがて、まわり全体が、明るくなった。
人々は、進むべき方向が、わかり歩み始めた。
ひとつの実が落ちると、たくさん種が、広がり落ちて、やがて、芽を出し、育ちだす。
小さな愛も、最初、小さくても、それが、およぼす影響は、時と空間を越えて広がっていく。
コメント:
昔、あるところに、貧しい男がいた。 その男は、ある日、教会の神父に助けられ、食事を与えられた。
夜、男は、高価な食器を、教会から盗んで、夜逃げをした。
男は、不審に思った警官により、捕まえられたが、神父は、それは、男に与えたものだと言った。
男は、自由になった。 男は、くいあらため、社会の為に、働こうと決めた。
やがて、男は、実業家になり、そして、市長になった。 そして、市民の生活は、楽になり始めた。
ある日、その男の過去を知っているものが、「彼は、泥棒だった」と、言い始めた。
私には、その市長が、一番、市民の事を考える市長になれると思います。
なぜなら、市長になる動機が、純粋だからです。
あなたは、「お金や名声の為になる市長」と「許された喜びによって起きた社会への奉仕目的の市長」と、
どちらが、市民の為に頑張ると思いますか?
過去ではなく、今の行動で、市長を選ぶべきだと、思います。 そうでないと、本当の市民の為になる市長を選べないと思います。
コメント:
1837年、武士の子として生まれた彼は、40才ぐらいまで、武力で政治が変えられると信じていました。
しかし、西南戦争後、「武力で政治を変える時代は、終わった。 武力でなく言葉やぺンで、政治を変える時代になった。」と、気がつきました。
彼は、自由民権運動を始めました。 そして、1881年には、10年後の国会開設を、政府に約束させました。
もし、彼が、暴漢に刺される事が、なかったら、彼の名が日本偉人の1人に、残らなかったかも知れない。
1882年、彼は、岐阜市で暴漢にさされ、彼は死を覚悟して、「板垣、死すとも、自由は死せず!」と叫びました。
時は止まり、日本史に、その言葉が記録されました。
数年後、刺した青年は、板垣退助にあやまりにきました。 彼はゆるしました。
死後、100円札の顔になった板垣ですが、彼は、運動の為に財産を使いはたし、高知に帰った時には、財産は、ほとんど、ありませんでした。
日本の夜明けに、命と財産をかけた、剣をもたない彼の愛は、日本に国会開設(議会制度)と言う奇跡をおこしました。
それは、国際社会の夜明けの今と似ています。
コメント:
東ティモールの難民支援のために、派遣されていて帰国した人たちへメッセージ
危険をかえりみず、助けてくれて、ありがとう。
日本政府の関係者にも感謝します。...................地球上空から見守るユミと父より
コメント:
スキャンダルは、誰にでも、大なり、小なりある。
新しい大統領が、就任するたびに、スキャンダルで、辞任させていたら、誰も、大統領の仕事が、出来なくなってしまう。
それは、今のアメリカの繁栄もない事を、意味する。
みんなで、一度、期間を決めて代表を決めたら、その任期中は、大統領としての仕事をしてくれる方が良い。
それが、アメリカ国民への利益につながる。
Aを買うと、Bが良く見えた。それで、Bを買ったら、こんどはAが良く見えた。 人の心理は、いつも、移り気である。
大統領が危機管理も含め、国民に語りかけると引きつけられる。 移り気な国民も、気を引かれる。
コメント:
私は、二人の先生と呼ばれる有名な人から、ある同じ事を、別々の場面で聞いたことがある。
「芸能人は、毎年、たくさんの人が、出て来て消えていく。
私は、仕事がら、多くの芸能人たちに会う。 長く残っている芸能人に、共通な事がある。
彼らには、愛がある。 だから、入れ替わりの激しい芸能界にとどまる事が出来た。」
もし、あなたが、『けおとし』が、その世界で生延びる道と考えていると、その思いが、あなたを、けおとすのかも知れない。
コメント:
もし、彼が、その国に、その時、登場しなかったら、テロのあらしが、その国をおおって、国中がガレキの山になったかも知れない。
1929年に、米国で、牧師の子として生まれた彼は、26才の時、人種差別の抗議運動に、立ち上がりました。
彼は、非暴力、平等、愛を語りました。
やがて、マスコミや行政が、彼に味方しました。 そして、人種差別を無くす法律は、成立しました。
彼は、ノーベル平和賞を受けました。 そして、39才の時、暗殺され、この世を去りました。
しかし、彼の精神は、その後のその国だけでなく人類の理想として、生き続ける事になりました。
キング牧師の命をかけた愛は、人類の平和のとりでとして、人類滅亡から、今日も守っています。
コメント:
歴史は語る「弱肉強食の行先は、金融崩壊、戦争、テロ、民族浄化、そして人類滅亡である。」
世界の電気文明を作って、80才をすぎても、発明を続けたエジソン。
エジソンは、弱肉強食の点から見ると、小学校で落ちこぼれた、この世の敗者でした。
彼を、発明に駆り立てたのは、弱肉強食主義では、ありませんでした。
彼を動かしたのは、愛でした。
もし、愛が動かしたのでなければ、世紀の大発明家と言われるほどの多くの発明は、必要ありませんでした。
動物園のライオンと同程度の知恵が、あれば、弱肉強食の王者になれます。
そして、タイタニック号にも、乗れる幸運(?)が、得られます。 その先には、破滅が待っている。
コメント:
試練を耐えている人へ、送る言葉
人生には、自分が正しくても、ガマンしなければ、ならない時がある。
時がくれば、ガマンした事が、正しかったと分かる時がくる。
偉人たちも、そうでした。
コメント:
少年、少女たちは、鉄腕アトムが、いつか、この世に出てくる事を夢見ました。
彼らは、夢を見ました。 いつか、天才が出てきて、その夢を実現する為に、努力してくれる夢を見ました。
夢を見つづけて、時がたちました。
ある日、気がつきました。
天才が、夢を実現してくれると、思っていたら、自分たちが、いつのまにか、夢を実現する側になっていた。
人類を助ける為の考えるロボット、鉄腕アトムは、もうすぐ、登場しそうです。
コメント:
1869年、インドの商人の家に生まれた彼は、少年の時、不良でした。
しかし、ある日、少年は、これではいけないと、ある事で気がつきました。
父にあやまる手紙を、書きました。
病気の父は、読み終ると、過去に何も無かったかのように、無言で手紙をやぶりすてました。
こうして、少年は、無言の愛のゆるしを受けました。
その時、父は、その愛のゆるしが、約60年後に、その国の無抵抗主義による独立に、つながるとは、予想できませんでした。
小さな愛、それは、当時、不可能と思われた無抵抗主義によるインド独立と言う奇跡を、生み出しました。
ガンジーは、この世を去りましたが、いまでも、彼の非暴力主義は、世界中で、語られています。
コメント:
心の空白を埋める為に、若者たちは、オカルトに走る。
算数、国語、社会、理科では、心の空白は埋まらない。
心の空白に入れるべきものは、愛です。
先進国、発展途上国とも、心の空白に愛を埋める必要がある。
それを、埋められるのは、NGO、GO、UN、報道、ボランティアなどです。
心の空白が愛で埋まると、不可能を可能にする奇跡が始まり、その輪が広がっていく。
コメント:
災害にあった人の復興を早くできれば、助けられた人が、別の時に、助ける側にまわれる。
もし、復興に長期間かかれば、その分の行政への収入がないし、負担がかかる。 町がさびれる事になる。
復興できた人は、他の人を助けようとする。 人によっては、一生かけて、そうする人も出てくる。
コメント:
助ける為に、人と人がつながる時
1人と1人
2人と2人
4人と4人
16人と16人
256人と256人
65536人と65536人
最初は、小さな助ける輪
最初は、小さな歩み
しかし、ある時から、爆発的に大きくなり始める
コメント:
1827年、彼は日本に生まれ、9才で、父を亡くしました。 彼は、かつおつりで、母を助けました。
15才の時、彼の乗った船が、あらしに会い遭難しました。 サメのえさに、なっていたかも知れません。
がんばっていた彼に、神さまが味方したのかも、知れません。
漂流した彼と4人は、無人島の鳥島に、着きました。
40日後に、アメリカの捕鯨船が、救助しました。
助けた人たちは、その時、目の前にいた彼が、のちに、歴史に残る2つの国をつなぐかけ橋になるとは、予想できませんでした。
歴史の流れは、その後の彼の運命と彼の国の運命を変える事へと、進んでいきました。
2つの祖国、2つの文化を持つジョン万次郎は、日本の夜明けに、つくした人として、歴史にのこっています。
みなさんが、思う小さな愛、それは、けっして小さくない。 あなたが助ける人々が、やがて戦争の無い時代を作るからである。
コメント:
地球の人口問題は、発展途上国への援助が、十分進むと、先進国で進んでいる少子化に進むと思います。
多産による子孫保存でなく、少子高医療による子孫保存に、進むと思います。
人口問題解決のカギは、NGO、GO、UN、世界の報道関係者たちの思いやりにあると、思います。
それらにより、発展途上国の(良い意味の)先進国化が進み、市民の少子化意識が高まると思います。
コメント:
ナイチンゲールにインタビュー
タイムトラベラー:「21世紀、あなたが、人類に投げかけた小石の波紋は、世界中に広がっていって、
今、戦争の無い時代を、作り出そうと、しています。 あなたは、どう思われますか?」
ナイチンゲール:「それは、私だけで、出来たわけではありません。
安全とは言えない戦場の野戦病院に、私に、付いてきた38人の看護婦たちや、私の訴えに協力した
大臣や新聞社の人たちが、いて『クリミアの奇跡』が、起きました。
そして、それを知ったデュナンが、奇跡を信じて、国際赤十字を、作りました。
その後、その波は、多くの人々によって、世界中へと広がっていきました。
すべては、みなさんの心の中にあったものが、この波を作り、奇跡を生み出してきました。 主役は、今もみなさんです。」
コメント:
世界中どこでも、共通な、生きていく上で最も、重要な言葉
「ありがとう」と「ごめんなさい」
実は、この世に生きていく時、この言葉を、言うべき事が、大変多くあります。
私たちは、言うべき事でも、多くの場合、気がつきません。
心をこめて言う時、この言葉の重大さに、気がつきます。
これを、見てくれて、ありがとう。 発展途上国への支援を、ありがとう。
真理を研究する者 - 00/01/13 03:04:13
コメント:
「お金を返すのは、出世払いで、いいよ」と言った時
貸したほうは、お金が、戻ってこない事を、覚悟している。
借りたほうは、その投資が、失敗したら、首をつって、死ぬ覚悟をしている。
その後、成功して、命の恩人に、借りたお金を、何倍にもして、返す話は、よく聞く。
「天は、人を助ける者を、助ける」は、今の時代も真理である。
コメント:
この世を、自分で去ろうとする人へ、送る言葉
人生は、いろいろある
生きるのも人生 人の為に死ぬのも人生
ひとつのところに、生涯、住むのも人生
風まかせに、旅をして、生きるのも人生
山の中で、ひとりで、生きるのも人生
離れ小島で、ひとりで、生きるのも人生
孤独な人が、神を見るのは、偶然ではない
まわりの雑念が、無くなると、見えなかったものが、
こころの目で見えるようになるのは、偶然ではない
あなたは、さいわいです。 神と出会うからです
神は、あなたに、仕事を与えるでしょう
死に急ぐ事はない。 この世には、いろんな人生がある
小さい愛・NGOの前ページ |