サラスポンダ 投稿者:日本を愛した外人調査会 - 1999/12/05 18:30:00 1823年、彼は、長崎に来て、日本人にオランダ医学と学問を教え始めました。 その塾生には、高野長英など、その後、新しい時代を築く人たちがいました。 1829年、日本地図を持ち出そうとした事で、国外追放されました。(当時、海外への持ち出しは禁止されていた) 日本を愛した彼には、その時、2才の娘の「いね」がいました。 オランダでも、彼の日本への気持ちは変わらず、多くの日本を紹介する本を書きました。 頑張っている彼に、神さまが、味方したのかも知れません。 約30年後、歴史の大波が日本を変え、日本とオランダの通商条約が結ばれました。 追放処分も自然と、とかれ、63才のシーボルトは、再び、日本に戻ってきて、塾を再び開きました。 彼の小さな愛は、その小さな島国を、その後の世界史に残る驚異的な発展へとつながっていきました。 頑張っている人には、時空をこえた神さまが、今も、味方をします。 これを読んでいるあなたにもです。 「 サラスポンダ 」 Copyright (C) 1997 Y.Oba (SWEET MELODY). All Rights Reserved. http://www.asahi-net.or.jp/~YW4Y-OOb/j-index.html オランダ民謡世界平和の為の投票所 | 地震発生量の信号機