大きな栗の木の下で

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詩人 - 2000/04/11 03:00   2019年追記 7才の少女は、国際親善の夢を見た。 彼女は、そこに残っていれば、ノーベル賞を受賞したかもしれない。 彼女は、そこに残っていれば、しあわせな結婚生活が得られたかもしれない。 しかし、彼女は、それらを捨てた。 彼女は大海を渡って、遠い遠い国に、やってきた。 彼女は日本語を忘れていた。 彼女は、国際親善と結婚したのかも知れない。 彼女は生涯をかけて夢を育てた。 彼女の夢は、今も生きつづけ、新しい時代へと引き継がれる。 7才の少女の描いた夢は、平和な世界へと変えようとしている。 ---------------------------------------------------------------------------- 日本の夜明けを調査するタイムトラベラー - 2000/04/09 17:00 1864年、農学者の子として彼女は、東京で生まれました。 1871年、アメリカに渡った岩倉欧米使節団の中に5人の女子留学生たちがいました。 7才の彼女も、姉のかわりに留学生に入っていました。 アメリカ森公使は、「こんな小さい子を、よこしてどうすればいいんだ。」と困ってしまいました。 しかし、彼は、彼女の思いをくみ帰国させませんでした。 彼はその小さな愛が、歴史に残る話になるとは思いませんでした。 その時、5人の中で、その7才が、日本の将来を背負っていく事になるとは、誰も予想できませんでした。 彼女は、ランメン夫妻に、実の子のように11年間、育てられました。 生物学者になった彼女は、後にノーベル賞を受賞するトーマス・モーガンとも、共同研究をした事もありました。 しかし、彼女の夢は、日本での英語教育、個性尊重教育を特長とする女子英学塾【現在の津田塾大学】をつくる事でした。 津田梅子は、日本の夜明けに、女子教育に光を与えた教育者として、歴史に記録されています。 7才の子を支えた応援団たちの愛は、日米国際親善と女子教育を進める大きな原動力につながっていきました。 大海を渡った7才の子が描いた国際親善の夢は、やがて多くの人に引き継がれていき、 21世紀初頭の出来事へとつながっていきました。 もし、アメリカ森公使が、梅子を、すぐに帰国させていたら、世界史につながる歴史は大きく変わっていた。 もし、彼の判断が違っていたら、21世紀初頭に起きる出来事は、起きなかった。 あなたが思う小さな愛、それが、未来を作った。それは、決して小さくない。 昔も、今も、これからも。 「 大きな栗の木の下で 」 Copyright (C) 1998-2000 Toyoaki Shimada. All Rights Reserved. http://www.midi-box.com  イギリス民謡
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