村まつり

時空の旅人 - 2002/08/20 19:00   2019年追加

『自他共栄』と、彼は願った。 1938年、太平洋上の船の中で、肺炎にかかり、彼は急死した。
オリンピックを東京で開く決定をした帰国途中だった。 命をかけた願いは、第二次世界大戦で中止になった。

彼は、軍艦奉行・勝海舟の部下・治郎作の家に生まれました。 
体が弱かったため、柔術で、体を鍛えました。

そして、立派な人間形成の場として、柔術を発展させた講道館柔道を、作りました。
50才の時、東洋で最初の国際オリンピック委員に選ばれ、日本体育協会の初代会長にもなりました。

嘉納治五郎(かのうじごろう)【1860-1938】は、明治から昭和の教育家、
講道館柔道の創始者として、歴史に記録されています。

治五郎の願い『自他共栄』や東京オリンピックは、戦争という時代の波に、打ち砕かれましたが、
戦後、1964年、自他共栄のシンボルとしての東京オリンピックにより実現しました。

日本で、柔術の道をきわめた一番強かった男は、戦争でなく平和を願っていた。
太平洋の名のとおり、「平和な海」で、平和を願って去っていった。

歴史家は、平和のためにつくした人々の事を、まわりが海しか見えない大海の中の
小さな小さな一粒の点でも、探し出して歴史に記録する。 昔も、今も、これからも。

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