故郷の人々 投稿者:時空を調査するタイムトラベラー - 2001/03/04 17:00 議員であった彼は、39才【1921年】の時、小児まひになり、下半身が動かなくなりました。 そして、彼は、小児まひにより、弱者の気持ちが、より分かるようになりました。 その時、その病人が、やがて、その国を救うことになるとは、誰も予想できませんでした。 彼は、復活に頑張りました。 やがて、その国は、彼を必要とし、彼は表舞台に引っ張り出されることになりました。 1928年、彼は、車椅子と松葉づえの助けを借りて、ニューヨーク州知事として政界に復活しました。 そして、1929年の大恐慌が起こりました。 ルーズベルト【1882-1945】は、弱者救済策を訴えました。 そして、国民は、彼を第32代大統領にしました。 彼は、恐慌対策としてニューディール政策を実施しました。 最初、金融システムの回復をしました。 4日間の銀行閉鎖を宣言し、この間に公的資金による 銀行支援と政府による監督を実施し、国民には、「もう、銀行は大丈夫です」と声明を出しました。 その後、数々の社会保障制度を導入し、開発と失業対策を兼ねるテネシー渓谷開発公社(TVA) などの公共事業を実施しました。 富裕層への増税と国債発行により、財源を確保しました。 【しかし、経済崩壊が、あまりにひどかったため、効果はなかな上がらなかった。】 残念ながら、その後に起きる戦争特需によって、経済や雇用がよくなることになりました。 彼は、戦後世界の枠組み、国際連合創設につくしましたが、その憲章を調印する直前に、 「脳いっ血」により急死しました。 その後、ルーズベルト大統領夫人のエレノア【 -1962】は国連人権委員会の米国代表に任命されました。 夫人は、「私は夫の遺志を継いでこれを行います」と表明し、議長になりました。 エレノアは国連世界人権宣言の起草にたずさわりました。 (1948年に総会採択) ふたりがまいた平和の種は、今もすくすく育っています。 人を助けるために頑張っている人には、天が味方をする。 昔も、今も、これからも。 あなたにも。 国連世界人権宣言 「第一条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。 人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」 これによって、権力があれば何でも許された時代は終わる事になっていく。違反すれば人類の敵になる事に、全人類が認識するようになっていく事になった。 戦争特需---戦争による特別に発生する需要。 戦争は利益を生むように見えるが、破滅的負債を残す事が多い。 その後の同国においても例外でなかった記録が残っている。 「 故郷の人々 」 Copyright (C) gonbe007 . All Rights Reserved. http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/ フォスター作曲世界平和の為の投票所 | 地震発生量の信号機