鎌倉 投稿者:知恵のある人へ・匿名希望 - 2001/08/01 21:00 1945年8月、広島と長崎に原爆が落とされました。 原爆は、落とした国にとっては、多くの自国兵を守る守り神のようなものでした。 たぶん、日本の蒙古襲来時の神風と同じように感じました。 当然、落とした国にとっては、原爆神社を作って、毎年、守り神にお参りしても不思議ではない。 しかし、良心のあるその国は、そんな神社を作って信仰はしていない。 今も、広島、長崎で原爆の後遺症で苦しんでいる人々がいます。 もし、原爆神社があって、その国の大統領が、毎年、お参りしたら、どうなるだろう? その落とした国の商品を買いたいと思わないのは、自然ではないだろうか? 少し、品質が落ちても、良心のある国の商品を買いたいと思う。 その方が、商品トラブルが起きても、良心的な対応が期待できるからである。 今も、戦争の後遺症で苦しんでいる人々が、広島・長崎などにいるのを忘れない方が良い。 彼らにとっては戦争は終わってはいない。 彼らは、今も、戦争の後遺症で苦しんでいる。
投稿者:アメリカの父の意思を伝える者 - 2001/08/02 18:30 1776年、植民地の人々は、不平等から独立の為に、独立戦争に立ち上がりました 植民地側は、ざん敗でした。 しかし、ベンジャミン・フランクリンは、外交により他の国々を味方につけ、イギリスに独立を認めさせました。 それは、世界中の誰が考えても、フランクリンの言う事が、正しいと考えられたからでした。 外交で、戦争がさけられたかもしれません。 もし、外交で最初から戦争が避けられたなら、両国の多くの戦争犠牲者は存在しませんでした。 戦争犠牲者は、次の世紀まで、その苦しみを背負う事になりました。 外交で解決して、戦争発動が出されなければ、次の世紀になっても、両国の犠牲者たちは苦しむ事は、ありえませんでした。 今では、友好国でも、両国の戦争犠牲者が生きている間に、戦争を美化する行為は、お互いの報道が必然的にされるため、 その都度、戦争トラウマなどが発生して、両国間に大きな反感・憎しみが発生することになりました。 【両国の恥のため歴史には記録されなかった】 「 鎌倉 」 Copyright (C) gonbe007 . All Rights Reserved. http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/ 文部省唱歌世界平和の為の投票所 | 地震発生量の信号機