一月一日

投稿者:真実を探す時空の旅人 - 2001/04/01 17:00

彼が、その説を発表をした時、キリスト教会の一部の人々から強い非難をされました。
しかし、ローマ法王のクレメンス7世は彼に本を出版することをすすめました。

コペルニクスは、1473年に、ポーランドのトルンの商人の子として生まれました。
そのころ、地球を中心に太陽や月がまわっているという『天動説』が、信じられていました。

彼は肉眼観察の結果、地球が太陽のまわりを回っているという『地動説』を確信しました。
彼が、地動説を発表した時、強い非難がありましたが、支持する人たちもいました。

そのひとりである法王のすすめで、彼は『天体の回転について』を書き出版することになりました。
この本が実際に出版された時、コペルニクス【1473-1543】は、直前に、この世を去っていました。

もし、法王が彼に本を出版する事をすすめなかったら、地動説をとなえたコペルニクスは、
近代天文学の出発点として歴史に刻まれる事はなかったかもしれない。

彼の地動説は、その後、ガリレオやケプラーに受継がれていきました。
もし、コペルニクスが地動説のレールを敷かなかったら、ガリレオやケプラーが登場しなかったかもしれない。

以外かもしれないが、法王の励ましは、その後の地動説の行方を決めることになりました。
あなたが思う小さな愛。 しかし、それが歴史の大波を作ってきました。

「 小狐(こぎつね) 」 Copyright (C) gonbe007 . All Rights Reserved.  http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/
 上真行作曲

世界平和の為の投票所 | 地震発生量の信号機