いなかの四季

投稿者:時空の旅人 - 2001/09/23 17:00

彼はイギリス植民地の大農園経営者の子として生まれ、測量技師になりました。

ある日、川の急流で、おぼれかけた子を、川に飛び込んで助けました。
その時、彼は一緒におぼれて死んでいたかもしれない。

もし、彼が一緒におぼれていたら、その大陸の歴史も、世界の歴史も大きく変わっていた。

ワシントンが21才の時、北アメリカ大陸において、イギリス植民地とフランス植民地が戦争になりました。
フランス側には、インディアンが味方しました。

イギリス本国から来たブラドッグ将軍は、インディアンの戦い方を甘く見たため、負けました。
その後、イギリス植民地軍の司令官に、ワシントンがなり、フランス植民地側を倒しました。

 ブラドッグ将軍は、従来どおりの戦法で、敵にまわったインディアンに勝てると思いましたが勝てませんでした。
 ワシントンは、測量技師で、インディアンやその土地を、よく知っていました。 そのため勝てました。

イギリス本国は、この戦争のため、大きな戦費を使ったため、植民地に重税をかけました。
そして、ボストン茶会事件を、きっかけに、1775年、アメリカ独立戦争が起きました。

植民地側の総司令官には、ワシントンが選ばれました。 植民地側は、苦戦でした。
しかし、フランクリン外交により、他の諸国に独立を認めさせ、最後にイギリス本国は、独立を認めました。

彼は独立戦争が終わると、農家に戻りました。
最初、アメリカ13州は、憲法のもと、なかなか一つになれませんでした。

しかし、独立戦争の英雄ワシントンが初代大統領に選ばれると、一つの国(合衆国)として、まとまっていく事になりました。
初代と二代目大統領を務め、三度目は、辞退して農家に戻りました。

彼にとっては、国政より農民として農園ですごすのが、彼の一番の夢だったのかもしれない。

ワシントン【1732/2/22-1799】は、アメリカ合衆国建国の父として歴史に記録されています。
新しい国の歴史を作ったのは、キラビラやかな都会暮らしの人ではなく、田舎【いなか】でささやかな生活を望む農民の一人でした。


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