江戸祭の歌 投稿者:歴史の証人 - 2000/11/19 02:00 1868年、江戸の町は、戦火で多くの庶民が巻き込まれようとしていました。 それは、日本の危機でもありました。 そのころ、庶民は、幕府に不満を持っていました。 各地で農民一揆や打ちこわしが起きていました。 もし、庶民の感情的な判断で、ふたりが話し合いをしていたら、江戸は大戦乱になり、 その頃の諸外国の植民地政策の対象になっていたかもしれない。 勝海舟と西郷隆盛のふたりは、『これ以上、国内で戦うのは、日本のためにならない。 日本の為に、話し合いで解決しよう。』 と考えました。 そこで、江戸城あけわたし、江戸城総攻撃中止、徳川慶喜への寛大な処置が、決まりました。 その為、江戸城は残り、日本は諸外国の植民地政策の対象にはなりませんでした。 庶民も戦火で、命や家を失う事がありませんでした。 その頃の庶民は、あとさきの事を考えず文句だけ言いました。 そのとおりしていると、あとで困るのは庶民たちだったのですが。 ふたりの話し合いによる合意は、庶民と江戸と日本を、守る事になりました。 人の心は、争いを見るのに胸のときめきを感じますが、自分の身に危険がおよぶ事になると、拒絶します。 ここに矛盾が存在する。 「 江戸祭の歌 」 Copyright (C) 1999-2000 by hideaki okazaki. All rights reserved. http://www.fsinet.or.jp/~hydesan/ 本居長世作曲世界平和の為の投票所 | 地震発生量の信号機