有名人にとって、生きた時代が偏見に満ちた異常な時代であっても、
できる範囲で最善をつくすしかない。

彼の母は、近所の病弱な人の着物や食事の世話をする慈悲深い人でした。
彼は、その影響を大きく受けた。


時代の顔になる人は、その時代のその国の考えを同様に持っている人と思われる。

しかし、後進国に生まれた彼の生い立ち、人生から考えれば、わかるが、
彼の考えは、その当時の彼の国、多くの国民の考えとは明らかに違っていた。

彼はコスモポリタン(国際人)だったようです。

渋沢は数度の訪韓で朝鮮人を見下した態度をとる現地の日本人に対し批判の目
を向けている。

例えば往って帰った人が無暗(むやみ)に朝鮮を誹(そし)りますけれども私は
努めて朝鮮保護者の位置に立って居る。既に己れの銀行中でも此処(ここ)に
同席して居る市原盛宏君などは口を極めて朝鮮を誹(そし)る,
私は極めて弁護すると,自行の担当者の名をあげてまでそれを戒めている
(青淵記念財団竜門社編[1960],別巻5,(24)58頁)


彼はコスモポリタン(世界市民)だったようです。



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